第3回 首都高の設計計画

“網の目”の効能

用賀料金所を 入って2キロほど走ったら、いつもどおりのダラダラ渋滞にすぐ巻き込まれた。今回だけはイライラせずに済む。運転に脳神経を集中させずともよい。右手でハ ンドル、左手で録音機を持ち、思いつくまま料金不足通過をあえて試みたからこそ、凡庸な頭にも浮かびあがる発見のあれこれを吹き込むことができるのだ。

渋滞も時に実りがあるとゆったりしておれたのは、しかし、そう長くは続かなかった。車を走らせる方向を考えたとたん、学生時代に教わった幾何学の公理をふと思い出したせいである。

「三角形の1辺の長さは、どの2辺の合計の長さよりも短い」

私は今、この公理に反して長い2辺を選択する行動をしている。首都高公団や建設省の怠慢のしわ寄せではないかと、先日の取材内容を反芻し始めた。

最終目的地は副都心の1つ”池袋”であるそれなのに、私は都心部に向け車を走らせている。逆方向でないにしても、真っすぐ向かわず、真横に近いムダな走り をしつつある。自分のルート選択が間違いではないかと不安になる。しかし、「北池袋」方向との標識が目に付き、これで言いのだとムリに言いきかせた。公団 は利用客にそう誘導しているのだからと。

しかし、幾何学の定理に従えば、三軒茶屋、渋谷いずれかのインターで高速道を降り、一般道を通って池袋に向かうべきだと、自分の地理感覚は命ずる。ズルズルと最悪の常時渋滞路線 都心環状線に近づきながら「まるで半ば自殺する人にも似た思いだ」と自嘲したくなった。
首都公団の浅井理事長が説明した言葉を思い出す。

「網 の目が途中で切れていると、魚をすくいあげられないでしょう。首都高の現状はそれと同じです。四通八達して網目のようにどのルートへも迂回選択できる首都 高速道路建設計画そのものは、世界に例がないほどすばらしい。たたし計画全体が完成すればの話です。現状は網の目がブツブツ切れたまま。片足で超肥満体を 支えるのと同じです。都心、中央、外環との3重の環状線が完成すれば、両足で立つ人間らしくまともに動ける。実際には20年前に完成した副都心環状1本し かない。そこにほとんどすべての車が流れ込んで渋滞を慢性化させるわけです」

用賀から池袋に向かう場合、もし中央環状線が完成して利用できるなら、池尻大橋で左折してあとは一直線だ。すいていれば10分か15分で行ける距離である。網目を利用しての最後のコース選択。公理にも合っている。網の目未完成を呪いたい気持ちになる。
旧道を含めて合計10本もの幹線ルートが、今は、ただ1つしか存在しない都心環状線を目指し、片側2車線しかない狭い道路へとなだれ打つように乗り入れる。混雑、渋滞しないほうがおかしい。浅井理事長は、こうも語った。

「道 路建設は確かに大幅に遅れていますが、それでも全体計画を10とすれば、やっと8まで完成し、供用済みです。ただ、残り2が未完成のため、道路機能として は10のうち5しか力を発揮できない。片足で立っているとは、そのことを指すのです。残りの2のうち1を完成・供用すれば、機能が今の5から8にはねあが る。10のすべてとは言いません。せめて9までやれば網の目がかなりつながって、8の機能を発揮できる。スローダウンさせず何とか頑張ろうと言っているん です」

網の目を利用して迂回選択が、渋滞防止や解消にどれほど大きな力を発揮するか。首都公団自身がビックリする効果を味わった。ここ半年くらいの間のことである。

お先真っ暗

昨年9月9日。日本の高速道路が青森から熊本まで1本に初めてつながった。首都高が東北自動車道の川口料金所まで伸びたため、一般道に降りずに北から南ま で一直線に走れる。高速道誕生以来、25年にしてようやく成し遂げたと話題を呼んだ。日本の高速道路史上で記念すべき1到着点である。と同時に首都高に とっては、この日が網の目威力を発揮する中央環状線始動日であった。浅井理事長が、その喜びを語る。

「一挙に30キロも開いた(供用開始)んです。首都高始まって以来の長さで、工事開始から18年間もかかりました。始めの予定では5,6年で完成するつもりだった。3倍の期間を要したわけです。これで中央環状線全体(円周 46キロ)の44%になる。バイパス効果、渋滞地区を逃げて迂回するシフト効力は想像を超えてはるかにすばらしかった。好影響は都心環状線にまで波汲し、首都高の利用者全体に及んでいるのです」

中央環状線は、東京港の湾岸線 葛西インターを始点とする。荒川沿いを江北橋まで北上したあと、一般道の明治通り(環状5号線)上を、ついで中仙道(17号国通)沿いに北上して、今度は板橋から山手通り(環状6号線)上を終点の湾岸線 大井インターまで結ぼうというもの。
「高速道北から南まで直結」の記念すべき日、中央環状線の東側部分、江北から葛西までの15キロほどが、既に供用済みの小菅インター近辺こま切れ高速道5キロ弱と結びつき、全体で20余キロが待望久しく営業開始にこぎつけた。

「東側の道路だから西側の利用客には関係ないとよく言われるのですが、そうではない。関係ないと見られがちの池袋(5号)線利用台数までが、ずっと減ったんです。混雑を避けて逃げられる道があると、ドライバーの皆さんは積極的にそれを選択なさる」

東京都の官僚エースとして、保守(東)、革新(美濃部)、保守(鈴木)の三代知事に仕え、東京の都市計画決定に長く携わった野村副理事長。減少効果が生じると読みはしたものの、その読みをはるかに上回ったドライバーのシフトの素早さを、語って驚きを隠さない。

中央環状線部分開通のおかげと推定される通過車両台数減少傾向は池袋線を始めとして、羽田(1号)線、深川(9号)線、上野(1号線)線の4ルートにみら れる。なかでも減少ぶりが顕著なのは、池袋線。飯田橋—西神田間の上り線で一昨年11月と昨年の11月に通過台数を調査したところ、1日平均が9万 7000台から8万3000台に、1万4000台、14%強も減ったと判明した。

埼玉地区から千葉方面に向かう車の流れは、これま で池袋線を南下し、神田橋、江戸橋、箱崎と最悪の難所をじっと耐え、やっとの思いで小松川(7号)線から京葉道路、または深川(9号)線から湾岸線経由で 東関東自動車道へと脱出、ホっと一息ついた。ところが中央環状線東側部分開通により、これを利用すれば常時渋滞の都心環状線でもとりわけ悪名高き地獄の難 所のすべてを避けられるとあって、ドライバーは申し合わせでもしたかのように、さっさと池袋線に見切りをつけた。池袋線に連なる17号国通の大宮周辺で早 々に16号(環状)線経由で東北自動車道に乗ったり、17号で東京都内に入るとすぐに環七経由で、今回開通したばかりの川口線や中央環状線にシフト変えす る。

渋滞にしびれを切らしていたのがありありとわかるドライバーの池袋線離れである。

「公団の調査では、都心環状線を利用する車の54%までが東京に用はない。放射線から都心環状に入り、そのまま別の放射線へと抜けていく。網の目が使えれば、これらの利用客を都心に入れず、外周環状線に流されるのです」

中央環状線が、西側にも供用されていれば、今の私が、逆方向に走る感じで都心環状線に向かう必要はない。事故が発生して、都心環状線の動きがピタリと止 まれば、もうアウトである。2時間半と早目に家を出たのに、和合氏との約束時間に間に合わないかもしれない。半ば自殺する思いとは、このこと。

杞憂ではない。都心環状線15キロ弱の円周上道路では、これまでの平均(昨年度前半の累積 831件)で、5,6時間に1回は交通事故が発生している。事故発生後、交通障害物を排除し、事故以外の自然渋滞状況に戻すまで、短くても40〜50分、 手間どると2時間前後の時間がかかる。首都高の供用路線全体200キロでは、1日の交通事故発生件数が25件。深夜も含めて1時間弱に1件づつの割合で、 パトカーや救急車、レッカー車がピーポーピーポーとサイレンを鳴らして走り回る騒ぎが演じられる。渋滞発生の大要因だ。だが、これまでの首都公団は、事故 渋滞を自分の責任視せず、事故処理対応策は怠慢の一語に尽きた。ハードの失敗に加え、ソフトの知恵の発揮がいかにお粗末だったかは後述する。いずれにして も、逃げ場、脱出口が少ないだけに、都心環状線で交通事故が発生すると、悪影響は放射線の全ルートに及ぶ。

だからこそ都心環状の外側の中央環状線や外郭環状線の建設、供用開始が急務である。一体、いつになったら完成するか、浅井、野村両トップに糾弾する思いで質問した。答えは、絶望的である。

「まあ、10年くらいでやりたいと思っているんですけど」(浅井氏)

「湾岸とつながって初めて完成するのですがとりあえずは渋滞の先の大橋まで環状線の西側部分を伸ばします。昭和70年を目標にしているのですが」(野村氏)

首都公団に建設責任が負わされるのは、中央環状線まで。外側の外郭環状線作りは兄貴分の日本道路公団が担当する。中央も外郭も、最終的完成がいつになる か、実は、誰にも明言できない。”河清”を持つように、100年後になるかもしれない。”100年完成を待つ”とでも言おうか。

「基本的な構想はありますが、計画決定するに至っていないのです」(野村氏)

はっきり言うと「計画」そのものが、まだないのである。計画がないのに、いつ完成と約束できるわけはない。構想段階は別として、道路建設の公的、実質的 スタートは、各地方ごとに設けられた都市計画審議会に諮り、討画決定することである。中央環状線で言うならば、豊島区高松以西については、この都討審決定 がまだ出されていない。1年後に諮るのを目指し、費用が計上されたのみ。それも東名高速とドッキングするべく渋谷(3号)線に乗り入れる池尻(大橋)まで がやっと。池尻以西となると、お先真っ暗である。
開通目標の昭和70年は、わずか7年後に迫る。都討審決定されたあと、用地買収に急いでとりかかるとして、そんな短期間に高速道が建設されるのは絶対に不可能。画餅になりかねない。

浅井理事長の語る「10のうち8まで完成。残り2のうちせめて1を」の「1」に、高松—池尻間は残念ながら含まれていない。首都公団が発行するユーザー向 けの道路マップに、高松以西の中央環状線ルートは書きこまれていない。都討審の計画決定がないのに、構想段階でのルートを刷りこんでは、都討審の存在をな いがしろにするとの遠慮からである。ルートが途中で切れたままの道路マップを眺めて、お先真っ暗を実感するのだった。


この文書は昭和63年に内藤国夫氏により執筆されたものである。

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