ことのはじまり

1987年9月11日のことでした。
高島平入口から、首都高速道路に乗り入れ、志村料金所に向けて車を走らせていました。
この日は、電光掲示板に「錦糸町6km渋滞」と相変わらずの慢性渋滞を機械的に表示 しており、“ご迷惑をおかけいたします”の一語もありません。
実態は低速道路で名ばかりの高速道路には馴れっこになっているとは言っても「また渋滞かやれやれ」とへきえき しているところに、
さらに横目に「今日から通行料金が600円に改定になる」という文字が飛び込んできたのです。
「また値上げか……」と開いた口がふさがらないとはこのことで、まさに唖然としているうちに、車の流れにトコロテン式に押し流されて、ゲートにたどり着きました。
そこで窓越しにパンフレットを渡され「600円になりました、だからもう100円下さい」との事務的な掛け声が発せられたのです。
寝耳に水、怒り心頭に発した私は、はやり高ぶる気持ちを懸命に押さえ「いきなり、このような20%もの大幅な値上げは到底認めるわけにはいかない。とりあえず今日は、今まで通りの500円で進行する。」
自分の名刺と500円を一緒にゲートの職員に手渡したところ、職員は困惑の表情で、狼狽をかくさず「私共は上層部からの指示でやっていることなので、それは困ります」
とは言いましたが、通行を妨げる態度ではなく、私はそのまま、しんしゃくせず車を発車しました。
こうして旧料金の500円で首都高速道路に乗り入れたのが、100円不払いの始まりでした。
和合秀典

第1信 テーマは大きいのです
交換日記というのはどうですか

私が旧料金の500円通行するとき提出している「旧料金500円通行宣言書」(巻末資料を参照)は、どういう経過をたどって、どういう処理をされているのか興味があります。
先日、そのことを渋滞電話?で聞いてみました。
そしたら貴公団の担当者はその日のうちに関係各部署にファックスFAXされ、翌日には建設省に届き、その間50人以上が「宣言書」に目をとおすと教えてくれました。
2日間で、50人が読んでくださるのであれば、もうこれは立派なベストセラーです。
これを生かさないてはありません。
私の「通行宣言書」をとおしてあなたとの会話をしたいのです。
ほら、女学生がよくやっている交換日記みたいなものです。
返信は10回に1回あるいは50回に1回でもがまんします。
返信をいただければ解決の道は大きく開けます。
しかし、まったくいただけなければ、私からあなたへの一歩通行になるので、あなたからの返信は貴公団のいろいろな対応や新聞記事ということにしましょう。
あなたはもとより、あなたの上司である建設省の皆様にも目をとおしていただけるとあらば問題の解決にこれほど確実な方法はありません。
私はどうしても貴公団の検討委員会なるもので、正式に協力できる場をつくる必要があると考えています。なければつくればよいのです。
私とあなたの間にある問題は大きなテーマなのです。むろん、私とあなただけの問題であるはずがありません。
それぞれの人がそれぞれできることをやり、それぞれの組織がそれぞれ仕事や責任をはっきりさせながら分担して考えなければならないのです。
道路というものの原点に戻って大きく考えていきたいのです。
私はこの問題に直面してから貴公団と正式な話し合いを持つべくあらゆる方法を試みました。
貴公団に何10回となく電話をし、出向いて行き、ついに浅井理事長、あなたのお宅に電話をいれさせていただきました。
だが、あなたは”会社の仕事は家庭には持ち込まない主義”だそうで、奥様に取り次ぎを断られました。
すごくもっともな、立派な主義だと感心しました。

4月7日秘書課の石原様?に、当公団役員は和合には会わないことを正式に決定したとのご通達をいただきましたので、
その理由を書面にて提出していただくよう、かたく申し入れておきましたが、いまだに届いておりません。
参考までに当時の書面を同封しておきます。
1988年6月22日
フリーウェイクラブ 和合秀典
首都高速道路公団理事長 浅井新一郎殿

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【口座番号】1787668
【口座名義】
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 代表者 和合秀典

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