第13回 マスコミとの付き合いが始まった

●週刊ポストに電話を突っ込む

「ふざけるな」の一念で始めた500円通行の先には、今まで知らなかった世の中の信じられないほど馬鹿げた仕組みがありました。
何じゃこりゃと激怒し、なるほどこうなっていたのかと感嘆の声を上げながら新しい世界を歩き始めたのです。
たった100円で未知の扉を開く事ができたのです。
素晴らしく得をした気分です。
しかし扉を開くには大変なエネルギーが必要でした。
まず、当時の首都高速道路公団のしつこさといったらありませんでした。
「100円払え」の大合唱のうるさいこと。

当時は「勝手に値上げしておいてうるさい野郎だ」と本気で思っていました。
時にはチームを5つも組んで何度でも会社に説明に来てくれるので、全く知らなかった有料道路の知識を洪水のように脳味噌へインプットできました。
そんな時に電車の中で開いた『週刊ポスト』の「首都高公団の値上げに反対 道路建設の談合を暴く」といった見出しが目に飛び込んできました。
同誌は値上げ反対のキャンペーンを張っていたのです。
すぐさま、「モシモシ、私は和合といいます。値上げに反対して旧料金で通行しています。どうでしょう、公団の連中が来週100円払えと大挙して押し掛けて くるので取材に来ませんか?何で500円で通れるのかって?いや普通に通っているだけです。もう半年前からです」と編集部に電話で告げると絶句しているの で、
「モシモシ聞こえていますか?私は和合と申します。モシモシ取材に来ませんか?」と繰り返すと、
やっとかぼそい声で、「申しわけありません。今、記者の皆さんも出払っています。よろしければ電話番号を教えて下さい。こちらから連絡をさせて戴きます」と気乗り薄な返事。 そのまま忘れてしまいました。
そしてある日、見るからにクラーイ感じのする眼鏡青年が訪ねてきました。
将棋の飛車角みたいな顔に見事なエラが張り、眼鏡の裏側から猜疑心そのものといった細い薄目でこちらを見た後、飛車角は目よりさらに薄い唇から「コンニチワ」とか何とか声を発しました。
「会社カラ取リアエズ行ッテコイト言ワレタノデ・・・・取材ニ来マシタ」とボソボソ話す彼こそがポストの「公団を暴く」の専任記者であるフリーライターの中川さんでした。

●記者を乗せての不払い実演

彼を招き入れた私は、「30年で償却し、無料の約束をしておきながら首都高は絶対にその約束を守れない。その原因はプール料金制度という奇々怪々な仕組みにある」と例のごとく口角泡を飛ばしてまくしたてました。
ところが今ひとつノリが悪く、ジッと私を見つめています。
彼はワゴウという名の世にも不思議なしゃべる動物を観察していたのです。
600円のところを500円しか払わず、正義は我にありと滔々と弁論しているワゴウを、シーラカンスでも見るように下から上から観察していたのです。
なぜならば、彼は先に取材をした公団から、「和合は気違いだ。とてもふつうの神経の持ち主ではないよ。ポストさんも気をつけてほうがいいよ」などと貴重な忠告を戴いていたのです。
ちなみに、以後多数の取材を受けましたが、公団取材の後から来た記者諸君は、「大丈夫かな。食いつかれないかな」などと遠くからコンニチワなどと言って様子を観察してから取材を進めます。
逆に先に来た記者諸君は実にあっけらかんと、「和合さんの武勇伝は聞いています。ぜひお話を聞きたいのですが、どうでしょうか。私も首都高には頭にきています」と明るいものです。
しかし、当時はこんな内幕は知らなかったので、「コリャかなわん」と戦術を変え、「百聞は一見にしかず、実践で500円で通るに限ります」と宣言し、いやがる中川さんを隣に乗せていつもの高島平から首都高へと入りました。
料金所が近づいたころに隣を盗み見ると、何と彼はカメラを構えてシャッターチャンスはいかにと細い眼を輝かているではありませんか。
つい先ほどのボンクラとは別人です。
普段はウラメシヤーとでもいいたげな彼の眼が輝くと、その反動で人の倍も輝いて見えます。
なるほど、こういうことかと彼を瞬時に好きになりました。
熱しやすく冷めにくい私は、普段でも人より熱くなっているぐらいですから、ここ1番では全身全霊でサービスしてしまいます。
彼のシャッターチャンスのために職員どもを蹴ちらして3度も首都高を往復しました。
職員は、「また来たーっ」と大混乱です。
中川さんも「これは凄い」と大ハシャギです。
以後、ポストの特集には毎回私の写真が飾られました。
フリーウエイクラブも中川さんとの密着取材の過程で仲間が増えて設立に至ったのです。
毎回30人くらいが集まって気勢を上げました。

●フジテレビ出演拒否騒動

朝6時からフジテレビのお早う目覚まし時計でニュースのまとめなどをしている軽部真一キャスターは、丁寧に区切りをつけて正確に話す誠実さが災いを引き起こしました。
公団のデタラメを話してほしいとの依頼を受けた時のことです。
その頃の私は、番組責任者と徹底的に話し合って、納得を得てから出演していました。
見ようによっては無頼漢かトンデモイナイ野郎になるだけに、私の行動に反対の人の番組に出るわけにはいかず、結局3分の1はお断りしていました。
打ち合わせ中、軽部氏は長時間丁寧に話を聞いてくれ、明朝6時に自宅まで車を回すとのディレクターの挨拶で打ち合わせが終了しました。
しかし軽部氏は仕事が終わって気がゆるんだのか、あるいは忠告のつもりなのか、私にとってはとんでもないことを口走ってしまったのです。
「なるほど大きな問題です。しかし、私は和合さんの行動に賛成できません。決まったことは決まったこととして守った上でものを言うのが民主主義の原点です」。
軽部さんらしい真面目な意見ですが、そんなことは百も承知でやっているのです。
ある公団幹部に「気持ちはよくわかりますが、決まったことは守るべきで、特出した行動を取るべきではない。他の方法を取るべきです」といわれたことを思い出しました。
「他に方法があるならば教えてほしい」というと、「新聞に投書するとかいろいろあるでしょう」と笑止千万な返答でした。
巨大官僚組織の横暴を新聞投稿で止められるでも思っているのだろうか。
いずれにせよ、この一言で出演キャンセルを決断してディレクターに伝えると、驚いたディレクターは、「うかつでした。和合さんの思い入れを軽く考えていました。お許しください。ひとつ曲げてお願いできないでしょうか」といいました。
軽部さんも深々と頭を下げてくれて気の毒でしたが、出演は目的のための手段であり、それがマイナスになるのであれば意味がありません。
ディレクターは、軽部さんを外す形で出演の了解を求めてきました。
軽部さんは大変なことになったとうつむいています。
打ち合わせに同席していた5人ほどの仲間も、「これほどいうのですから出ましょう」いいますが、答えはNOです。
機材を抱えて帰る彼らのさびしそうな後ろ姿を見ながら、「ゴメン。しかしこれは大きなテーマなのだ。道路行政の根幹に当たる大問題なのだ。
テレビ出演云々の問題ではないのだ。軽部さんは今回のことを教訓として頑張って下さい」とつぶやきました。
この話には後日談があります。
6年の歳月が流れ、その後のフリーウエイクラブは度々マスコミを賑わしました。
ある日私の移動電話になつかしい声が入ります。
「もしもし軽部です。覚えていますか?」
「いや、よく覚えているよ。毎朝拝見させていただいています」
「ありがとうございます。今度うちの企画で首都高を取り上げます。ぜひ和合さんにインタビューをお願いしたいと、お叱りを覚悟で連絡させていただきまし た。あの時のことを考えると誠に恥ずかしい思いです。これほど大きな問題とは思っていませんでした。和合さんがこれほどのエネルギーで行動しているとは 思ってもみませんでした。和合さんに面識があるということでこの役目を買って出ました。よろしくお願いします」。
もちろん異存があろうはずはありません。
こうして軽部さんと劇的な再会を遂げました。
しかし、約2時間もかけて制作したインタビューが2分間しか放映されず、ますます磨きのかかってきた軽部さんのクソ真面目さにも腹が立ちます。
しかし、これは彼のキャラクターであり生活の糧。
もし文句をいえば、「和合さん、内部干渉もいい加減にして下さい」と逆襲必至です。
ハイッ、すんません。

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