1 – 高速道路建設はなぜ進まないのか

高速道路建設はなぜ進まないのか(1)

対距離料金制の日本道路公団

同じ有料の高速道路といっても、こと料金の算定に関しては全国ルートの日本道路公団 管理の道路と地域限定の首都高速道路公団管理の道路とでは基本的に大きな違いがある。 前者は料金所入口で、通行券を受けとり、ユーザーが利用した距離に応じての料金を出口 で支払う。これを対距離料金制と称する。首都公団の依拠する償還主義と区別するため便 益主義、公正妥当主義との言い方もする。

料金を払う側のユーザーにしてみれば、償還主義とか便益主義といっても、ほとんどチ ンプンカンプン。どこがどう違うか、さっぱりわからないかもしれない。しかし用語を巧 みに使い分ける役人には、料金の値上げ(これも役人用語では料金の改定となるのだが) を認可する際に、償還と便益で、その意味あいが決定的に異なる。意地悪な言い方をすれ ば、ともに料金の値上げをしやすくするために考案された官庁言葉である。

償還主義とは、すでに何回も触れたように道路建設に投じられた費用をその後の維持管 理費を含め、通行料で返還するのが基本である。ユーザーが利用する高速道路の距離の長 短を問わない。首都高には、料金所が入口のみにあって、出口にないのはこのためだ。 ユーザーがどれだけの距離を利用しようが、これとは関係なしに一定の通行料を徴収する。 均一料金制である。従って出口でチェックする意味がない。

この償還主義の特徴は、料金を値上げする機会が多いことである。極論すれば、供用道 路が新たに延長される都度、ユーザーがその新設道路を利用する、しないに関わらず、償 還主義に従って新料金を設定しうる。実際には三年前後にまとめて値上げをしてきたが、 償還主義のタテマエとしては供用道路が延長されれば、毎年でも値上げできる。

対距離料金制の日本道路公団の場合はどうだろうか。全国規模で有料高速道路網を整備 する公団のことだから、首都公団の約三十倍、年間に二百km平均のペースで供用道路を増 設してきた実績がある。これからは二百五十km増のペースに高めようと意気込む。さて、 しかし建設費をどう捻出するか。首都公団と同様、とりあえずは借金で建設していくのだ が、問題は、その借金をどう返還するかである。

対距離料金制度をとっているため、供用延長道路を利用しないユーザーに対し、原則的 には料金の上積みをできない。北海道や九州で高速道路がどれだけ長い区間延びたからと いって、その建設費を東名高速道利用者に負担させる理由は本来、ないわけである。

たとえば名神高速道路が開通した三十八年七月時点で、建設費償還のために利用者から 徴収する通行料は一km当たり七円五十銭と定められた。 「一km当たり通行料が十円以内で走れる道路づくりを目指そう」が、日本で初めて有料高 速道路網整備にとりくんだ道路建設関係者の当初の共通目標だった、とはすでに第一章で 触れた。

目標がしっかり達成されての「七円五十銭」料金は、その後十年間維持され、据えおか れた。四十七年十月、それまでの車種区分五種類が三種類に変更された際、八円にちょっ ぴり値上げされたものの「十円以内」の約束は五十年四月の料金改定まで守られた。

この改定時、八円が一挙に66・5%増の十三円に値上げされ、ターミナル・チャージと いう名目で一律固定費百円が加えられた。久し振りの改定とはいえ、大幅値上げは大変に 評判が悪く、以後、大幅値上げを避けるため、日本道路公団はほぼ三年置きの小刻み値上 げを繰り返した。現在は一km当たりの通行料が二十一円七十銭(大都市近辺は二十六円四 銭の特別加算料金)である。

渋滞防止のために通行料を高目に設定

料金値上げの都度、その理由、口実にされたのが、便益主義とか公正妥当主義とかの役 人用語。結果としての償還主義という表現も使われる。競合関係にある他の交通機関(た とえば東名高速は、東海道新幹線。東北自動車道は、東北新幹線)と比較・均衡させる。 ユーザーの受ける便益を料金に反映し、値上げの口実に使おうというものである。この方 式だと道路建設の借金未清算分があといくら残っているかとは直接の関係なしに、諸物価 見合いで新料金設定が可能となる。

日本道路公団にとって幸いなことに、他の交通機関の代表である国鉄の運賃は実に頻繁 に値上げされた。昭和三十六年から六十一年までの二十五年間で値上げを繰り返すこと、 何と十三回。二年弱に一回の割合いである。とくに五十三年からの九年間は五十八年を除 き毎年値上げが続く異常さ。競合関係の異常連続値上げが続く折だけに、国鉄運賃値上げ に平行して、高速道路料金も毎年、値上げすることが、役人論理ではヘタをすると、「公 正妥当主義」になりかねない。「結果としての償還主義」もおかしくなった。東名、名神 などのドル箱路線の場合は、とっくの昔に建設費を償還済みである。償還主義だけに依拠 するのであれば、無料解放されて然るべきなのだ。ところが便益主義という理屈が加わる ために、国鉄変じてJR各社の運賃値上げに準じ、今後も永久に通行料の値上げが繰り返 される。

東京・大阪間の新幹線運賃は、現在、乗車券が八千百円で、特急券が五千円の計一万三 千百円である。

この間を車で走れば、前後の首都高と阪神高速道を含め有料道路代だけで一万三百五十 円にのぼる。ほかにガソリン代が五、六千円、車の減価償却費まで含めると、鉄道よりは 自動車で往来するはうが、はるかに割高となる。

米、英、西独なみに高速道路が原則として無料になるのまでは不可能にしても、せめて 仏、伊両国のように一km当たりの走行料を七〜八円台にとどめてはしいもの。実際には、 プール制料金導入(四十七年十月)の際、「有料道路の路線別個別償還原則」が廃止され ただけでなく、三十年償還主義までが実質的に姿を消した。建設省や道路公団幹部の料金 値上げ依存姿勢は悪化するばかり。「十円以内」の初心がすっかり忘れ去られた。同じ 「便益」という言葉を使いながらも、ユーザーの便益を図るよりは、道路の建設・管理者 側の便益ばかりを図ると皮肉りたくなる。

「鉄道より割高につく高速道路走行の弊害」について、建設省や公団幹部にクレームをつ けたが、「利用次第では安くなる」と反論された。彼らなりのホンネ、理屈があると感じ られたので、この機会に紹介しておこう。

「いや、そんなに割高にはなっていないはず。車に一人で乗ると割高になるかもしれない が、四人で乗ったら、車のはうがはるかに安い。自分たちは料金設定の際、複数乗車で鉄 道より安上がりになることを考えて決めている。あまり安くすると、鉄道から車利用へと シフトしすぎて、渋滞を悪化させかねない。現行料金の水準が、そこそこにいい線を行っ ているのではないですか」

理屈と膏薬はどこにでもつく。渋滞防止のために、料金を高目に設定するとは、モータ リゼーション社会に反する。本末転倒もはなはだしい議論である。だが道路整備に責任を 持つ人々が、ホンネでそう信じて、複数の関係者が、別の機会に同じ内容の料金による渋 滞防止論を私に説くのだった。


高速道路建設はなぜ進まないのか(2)

道路整備計画は五回も連続破綻

日本道路公団の管理する主要道を法律用語では高速自動車国道と称する。
高速自動車国道の整備は、計画として実に立派なものがある。しかし、実際の工事は 遅々として進まない。整備の遅延による渋滞発生を高目料金設定で防止しようとは、とん でもない話。責任を追及する意味で、計画と実行とがいかに喰い違ったかを振り返ってみ よう。

語るのは自民党の参院議員・井上孝氏。建設省の道路局長や技監、事務次官を歴任した 国会議員きっての“道路通”である。

「昭和四十年、日本の自動車保有台数がようやく六百万台に達したところで、建設省を中 心に政府として将来のあるべき高速自動車道を検討してみようとなったんです。経企庁な ど他省庁とも相談し、二十年後の昭和六十年には、自動車の数が三千五百万台にふえるだ ろうと想定した。これだけの数の自動車がスムーズに走れるためには、何をすべきか。同 じ六十年までに高速自動車国道を全国ネット網として七千六百km張りめぐらせようと予定 路線を決定したんです。日本中、人が住んでいるところなら、どこからでも、一般道を 走って二時間以内に高速道に乗れるようにする。これを最低基準にしたわけです。ほかに 東京、大阪、名古屋などの大都市に都市高速道路を同じく八百km整備する目標を立てた。 ところが二十年後の六十年になってみると、これが大変な見込み違いになっちゃいまして ねえ。我々も大いに反省しているのです」

どう見込み違いになったか。自動車保有台数は予測より千三百万台上回って四千八百万 台に増えた。一方、高速自動車国道のほうは予定の半分以下の三千六百七十五kmしか供用 できなかった。都市高速道路の整備はわずかに三百二十kmどまりというお粗末さである。
容器(道路)づくりは計画の半分弱にとどまったのに、容器を使う中身(クルマ)は予 定より五割近くに伸びた。容器と中身の予測ダブルミスを加減計算すれば、計画した収容 能力を上回ること三倍のクルマが高速自動車国道にひしめき合うピンチを招いた。

道路整備計画は五ヵ年ごとに設定される。日本で最初の「道路整備第一次五ヵ年計画」 は昭和二十九年度にスタートした。この第一次計画により、道路整備特別措置法が三十一 年に制定され、借金による自動車専用有料高速道路づくりが始まった。実践・施行機関と して同年、日本道路公団が設立され、三年後の三十四年には首都高速道路公団も発足した。 以来、今日までの二十四年間に五ヵ年計画は十回にわたり改訂された。

五ヵ年計画が十回であれば、合計で五十年の年月にわたるはず。六十二年度から始まっ た第十次五ヵ年計画の終了時点(六十六年度)で実際の合計年数は三十七年間にしかなら ない。
五十年間のはずなのに三十七年間。この数字のくい違いに、道路づくりの見込み外れが 象徴される。計画と実行の齟齬(そご)。つまりは予測外れによる計画倒れがいかにひどいもの だったかを物語る。

どうして違うかといえば、五ヵ年計画だったのに、途中の三年とか四年で計画がすぐに パンクした。計画が、非現実的なものと化す。やむを得ず途中で破棄しては新たな五ヵ年 計画を作り直す。同じミスばかりを懲りずに何回も重ねたからである。とりわけ昭和三十 年代から四十年代にかけて、五ヵ年計画は三ヵ年しか機能せず、途中破棄する不始末を連 続五回も繰り返した。チョンボ、失態は明々白々だ。にもかかわらず、公団や建設省首脳、 政治家の誰一人として不始末の責任を取った者はいない。

特定の誰かが悪いわけではない。日本経済の高度急成長とインフレ高進がすさまじく、 計画に盛り込まれた事業予算の数字ではやっていけなくなっただけ。計画を作り直して現 実に合わせる努力をした、そのどこが間違っているかと弁解され、開き直られるのみ。
「推計の限界」を率直に認める発言も道路関係者の間にはある。

「自動車の台数にしたって、計画を作る段階でゲタをはかし、推計上の二倍と大目に数え たこともある。実際には、さらにその二倍に伸びたりした。こうなるともう、推計のしよ うがない。五ヵ年計画が五年間維持できるようになったのは、ようやく最近のことです」

五ヵ年の短期計画だけではなく、二十年間の中長期計画も何回となく登場しては、国民 に大きな夢の実現を約束してみせた。四十年から六十年までの将来予測計画である「新全 総」に始まって、その後も「三全総」、今は「四全総」と長期大型の総合経済計画は盛り 沢山に提示される。

いずれの計画でも高速自動車国道を一年間に三百五十kmずつ完成させ、モータリゼー ション社会にふさわしい便利で立派な道路網の整備を国民に約束した。だが結果は一年間 に百五十kmから二百kmの高速国道を完成・供用するのがやっと。貧弱な実績しか残さな かった。容器づくりの完全な失敗、立ち遅れである。他方、中身のクルマのほうは、狭い 国内に十一社もある自動車メーカー(年間に日本の倍以上、二十万台の需要のある広いア メリカでさえ、自動車メーカーは五社にすぎない)が厳しい販売競争にさらされ、互いに 切磋琢磨し、短期間で世界に冠たる自動車量産体制を築きあげた。

車の増加に追いつかない高速道路建設

新全総制定当時、マイカー所有者となるのは、一般の国民にとって“高嶺の花”であっ た。年収の二倍から三倍分の大金を投じなければ、小型車といえども新車を購入できな かった。マイカー時代の到来がすでに言葉としてはあったものの、大衆に普及するまでに は至らなかった。

ちなみに、当時、駆け出し記者であった私は、生意気にもマイカー族の一人として、取 材や遊びに車を足替わりに使った。もっとも、そのマイカーはタクシーあがりの中古車。 親に借金をするなど、月給の十八ヵ月分を投じてやっと入手した。
「’61年度トヨペット1000」。エンジンから油漏れはするわ、赴任地である茨城県内の 洗濯板と称されるガタガタ道を走るうちに、マフラーが落ちて、突然、ボンボン蒸気船の ように奇怪なエンジン音に変わるわというすさまじい低性能車であった。六、七十kmのス ピードを出すと、悲鳴をあげるように車体全体がガタピシと振動し、ハンドルを持つ手が 小刻みに揺れた。ほとんど毎月のように維持、修理に追われ、しばしばのエンストに悩ま された。

自動車を取りまく環境全体が後進国そのもの。全国の道路のわずか5%しか舗装されて おらず、はとんどが穴ぼこだらけの砂利道であった。事件現場に新聞社のジープで駆けつ ける時には、車の天井にボンボンと頭をぶっつけ、コブに泣いたりするのが常だった。容 器の道路も未整備なら、中身の車も低性能でかつ高価格であった。

先日、ほとんど二十年振りに茨城県筑波地方にドライブに出かけた。以前は水戸街道と いわれる六号国道をトコトコと四、五時間もかけて走ったものだが、今は快適な常磐自動 車道を一時間もひとっ走りすれば、まるで欧米の近代都市かと見まちがうほどの立派な学 園都市が眼前に広がった。正直言って浦島太郎の心境だった。わずか二十年間ほどで、か くも激変するかと大きな感慨を覚えた。
遅々として進まない感じの道路整備や都市づくりであるけれど、場所によっては意外と 急速に充実強化されたと知って嬉しく思ったものである。

十次に及ぶ五ヵ年計画や新全総、四全総などが、必ずしも画餅に終わらず、それなりの 成果を達成しつつあるとは、率直に認めておこう。二十年、二十五年の年月を経てみれば、 容器づくりもまた、サマ変わりするほどに整備が進んだ。当時、愛用した道路マップを本 棚から引っ張り出して眺めれば、今ではもう全く使いものにならず、どこかよその後進国 の道路地図かと錯覚するはどである。以前の未整備ぶりを改めて痛感する。

ただ容器づくりが相当に進んだにもかかわらず、その容器を利用するために殺到する中 身のクルマの躍進ぶりが際立ちすぎた。年収二、三年分を投じなければ入手できなかった 新車のマイカーが、今では四、五ヵ月分の月給で購入可能である。私がかつて愛用したポ ンコツ車程度の中古車なら、サラリーマン一年生が、それこそ一、二ヵ月分の月給を充て るだけで簡単に入手し得る。

高性能化した自動車が、求やすい値段で入手できるようになり、所得倍増政策が実って、 国民の所得は飛躍的に向上した。その結果、国内の自動車保有台数は年間に三百万台前後 ものハイペースでふえ続けた。飽和状態に達した今なお二百万台強のペースで増車傾向に 歯止めがかからない。高速自動車国道が年間二百kmずつ整備・供用されていっても、容器 を利用する自動車のほうが二百万台強のペースでふえ続ければ、車一台当たりの高速道路 の長さは年を追って逆に減り続ける。“兎と亀の競争”にたとえれば、さしずめ一年間に 三百五十kmずつ走ってみせると強がりを言った高速国道づくりの側が少なくとも当初の段 階では、兎の立場といえようか。そう簡単に追いつくはずがないと能力を軽視された亀の モータリゼーシヨン社会が頑張っちゃって、兎道路に追いつき、追い越し、その差は開く 一方である。


高速道路建設はなぜ進まないのか(3)

一台あたりの高速道路専有率は八cm

そんなことを考えていたら、新聞紙面で興味深い談話が目についた。
三菱自動車工業の館富夫社長が「もっと道路を造ってくれれば、車が沢山売れるのに」 と記者会見で道路整備の遅れを嘆いたというのである。館社長は、この時、数字をあげて 新聞記者に説明した。
「日本の高速道路の総延長を自動車保有台数で割ると、一台あたり八十cmにしかならない のです」
記事を読んで、なるほどと思った。日本にある車の全てが高速道路にズラーツと並んだ ら、走れるどころか、はみ出してしまい、とても全部は並びきれない。そのぐらいは十分 に想像がついた。だが一台あたり八十cmとは知らなかった。それにしても、これはどう解 釈すべきか、数字に疑問を覚えた。館社長は「八十cmしかない」と発言したと記事に書か れている。しかし私の直観では「八十cmもあるのかなあ」といった感じである。バスやト ラックまで含めての総保有台数であるから、一台平均の車の長さは五mぐらいになるかも しれない。一台当たり八十cmの“持ち分”が高速国道上にあるとすれば、六台につき一台 ずつが代表選手として選ばれた場合、動きはつかなくても、少なくともそれだけは日本に ある車を高速国道上に並べることができる。上り下り両車線を使い、さらに追越し、走行 と二車線あるのをムリして片側に三台ずつぎっしり並べたら、ほとんど全部の自動車が高 速国道上に展示できる。

さて、どうだろうかと思ったのである。
手持ちの資料から推計すれば、日本の自動車保有台数は六十二年末で五千万台を越え、 五千二、三百万台にはなっているはずだ。他方、高速自動車国道の供用総延長距離は、同 じ六十二年末でやっと四千kmを突破したばかりにすぎない。さて一台当たりの専有スペー スがどれだけと勘定できるか。こういう大きな桁の数字になると、計算に弱い当方には、 ますます苦手であるが、ともかく「一台当たりそんなにあるのかなぁ」との疑問が湧く。

とりあえず三菱自動車工業に電話をし、館発言の根拠を確かめた。日本自動車工業会の 調査資料にもとづいて計算したとのこと。八十cmもあるとは思えないのだがとの疑問提示 に、同社広報担当者は、もう一度調べ直してみますと言って、いったん電話を切った。そ の後電話連絡が入り、「申し訳ありません。単位が一桁間違っておりました。今、計算し 直したところ、一台当たり九cmしかないとわかりました」とのことである。
どういう数字を計算のもとに使っているかと再質問した。同社にある自動車工業会の資 料は三年前の古い統計数字と判明した。 私は改めて六十二年末の最新統計資料を取り寄せて、自分で計算し直した。
まず高速自動車国道は供用距離数が、
四千九十一・七km。
自動車保有台数は、
五千二百四十万台。
供用道路をセンチ単位に直して、自動車台数で割れば、一台当たりの供用道路は八cm弱 と出た。根拠にする資料の違いで九が八に減ったのである。三年の年月が経過すると、供 用道路もふえたけれど、自動車の伸びようのほうが急ピッチ。統計数字上はこのようにか えって環境が悪化しているわけだ。“亀クルマ”と“兎道路”の差はますます開くばかり である。 こんなはずではないと、兎がこれからいくらピッチをあげようが、冷静に評して、逆転 は絶望的である。
スタートのつまずきというか、有料道路制度が発足して以来、今日まで四半世紀以上の もたつきは、まさに“覆水盆に返らず”。取り返しがつかないのだ。
というのも、道路網整備の計画としては立派なものがあったのに、実際に着手に至らな かった道路、今後も着手が至難とされる道路があまりに多すぎる。そして五年なり十年な りの遅れが、単に物理的な年月、時間的制約にとどまらず、数倍、いや数十倍の重たいツ ケとなって国民に突きつけられる。ラフな言いかたをすれば、仮に着手が五年遅れると、 完成は五年遅れではなく、三倍の十五年以上の年月のロスとなる。用地買収交渉がこじれ るために、着手はしても、着工にこぎつけられないケースが続出する。しかもこの間に遅 れれば遅れるはど、用地買収を含めた工事費は二、三十倍にも膨れあがる。

中央環状線建設に一兆円!!

名神高速道路は百九十km弱を完成させるのに一千二百七億円の事業費を要するにとど まった。同じく東名高速道路は三百五十km弱を全通させるまでにかかった総事業費が三千 四百七十一億円である。名神、東名を通じての一km当たり事業費は、わずかに八億七千万 円。貨幣価値の変化があるにしても、三十年前、二十五年前だからこそ、こんな少額の金 で、これだけの大動脈を完成させることが可能だった。今、作るのであれば、まず百倍以 上の事業費がかかるに違いない。工事に要する年月にしても、名神は三十二年に着手以来 八年間、同じく東名が三十七年の着工、七年間で全線開通にこぎつけている。これまた昭 和三十年代半ばの、用地買収に苦労をあまり要しない、のんびりした時代だからこそ可能 だった。今であれば、やはり、三、四倍の年月がかかるはずである。 どうしてそう断定できるか。私なりの根拠を示そう。
これは日本道路公団ではなく、首都高速道路公団の事例であるが、首都高の渋滞慢性化 を解消するのに欠かせないバイパス道路として中央環状線の整備がある。東側部分・葛飾 江戸川線がやっと開通したのに続いて、首都公団は六十四年度内の供用開始を目指し、今 は板橋足立線の建設に取り組んでいる。通称・王子線といって、たった七kmの区間である。 五号池袋線と東北自動車道から流れる葛飾川口線とをつなげるのが役割。五十七年度に着 工し、六十四年度に供用開始予定。七・一kmの事業費が一千四百四億円と首都公団の六十 二年度主要事業一覧表に記されている。

浅井理事長が苦渋をこめて、公式資料に記録されざる実態を明かした。

「私たちの目標としては六十七年度の完成を目指しています。実際にはもう少し遅くなる でしょう。葛飾江戸川線だって五、六年間で完成させるつもりが、十六年もかかってし まった。地元のご協力を得るために、どうしても長い年月がかかるのです。まして王子線 はアセスメント条例適用第一号の道路でしてね。大気汚染や騒音公害について地元の合意 をとりつけるため、住民へのアセス手続きが必要とされた。説明会を開いたり、区議会の 了承を頂いたりと着工までの手続きが大変だったのです」

自ら発行する資料に「六十四年度供用」と発表しておきながら「六十七年度完成目標で す」と訂正し、かつ「もう少し遅れる」と後退する。今は用地買収を進めているところで あり、交渉がスムーズに進まず、工事になかなか取りかかれないのが実状だ。 さらに深刻な問題が、事業費である。予算上は一千四百四億円となっている。これだけ でも一km当たり二百億円のべらぼうな高値である。しかし、これは土地狂乱以前に定めら れた予定価格。予算決定後の土地狂乱騒動で、実際にこれから用地買収をする際には地価 が予算の二〜三倍にはねあがるはずだ。一km当たりの事業費が三百億円以内でおさまると は、首都公団でさえ考えていない。 中央環状線は既設の東側部分だけでなく、西側部分が完成して初めてバイパス機能を発 揮する。西側部分の核となるのが中央環状新宿線と名付けられる十一kmの動脈。目黒区大 橋から、板橋区熊野町までの超過密商業、住宅地を山手通り(環状六号線)沿いに用地買 収してかかる。七十年度開通を目指し、形式上はすでに着手済み。見込まれる予算額が五 千五百億円。新宿から渋谷の先まで、わずか十一kmの高速道路を通すのに、(二十年以上 の時差があるとはいえ)東名、名神合計の距離・五百四十km建設の総事業費を八百億円強、 二割近くも上回る。一km当たりの単価は実に五十八倍である。しかも、これはあくまでも 見込予算上の金額。これから地価狂乱や地上げ騒動の発祥地・新宿副都心周辺を買い進め るのであるから、実際にはどれほどの天文学的な数字になるか、見当もつかない。ヘタを したら一兆円近くの巨費にのぼるかもしれない。最終的には、これらの金のすべてが通行 料値上げというかたちでユーザーに押しつけられる。


高速道路建設はなぜ進まないのか(4)

いつ完成するか、幻の東京外郭環状道路

問題は、しかし、中央環状線の全線開通だけでは、首都高速道路の渋滞慢性化、機能マ ヒが部分的にしか解決を期待できないところにある。
さらにその外側にある東京外郭環状道路の開通こそが、本来は一番初めに手がけなけれ ばならなかった。
高速道路“網”というからには、網の目状の道路が縦ばかりでなく横にも、それこそ縦 横に張りめぐらされなくては“バイパス・迂回効果”を発揮できない。

首都・東京を目指して、日本の各地から縦線の道路が数多く乗り入れる。大動脈の東名 高速を初めとして、東北自動車道、中央高速、関越自動車道、常磐自動車道、東関東自動 車道、京葉道路、第三京浜、それに首都高湾岸線、同神奈川一号横浜線と有料の幹線道路 だけでも合計十路線にのぼる。これに従来からある一般道の国道一号線以下、四、六、十 四、十五、十七、二十の各主要道、さらに二四六、二五四などのなじみ深い国道までを加 えると、東京を起終点とする主要ルートは全部で十九に達する。

これだけ多数の縦線道路から東京にクルマが殺到・集中すれば、どういう混乱が生ずる か。道路づくりにはズブの素人でも容易に察しがつく。大混乱を防止するにはバイパス効 果のある横線を作っていくしかない。いってみれば受け皿道路であり、迂回道路である。

欧米先進国では、何よりもまず受け皿道路づくりを最優先させる。入口ばかり作って出 口を作らないと、容器がすぐに満杯となる。どちらを優先させるかといえば、まず出口。 逃げ道を整備し、次に、さあ入ってきても、もう大丈夫ですよと縦線道路の乗り入れを順 次認めていく。都市部に用のない車は中に入れず、外周部でパスさせる。それこそが無用 の混乱を避けるための基本原則。モータリゼーション社会の都市内交通円滑化に欠かせな い自衛策である。無用の都市内に乗り入れずに済むドライバーにとっても、どれほど時間 のロスを避けられることか。一石二鳥も三鳥もの効果を期待できるのが、横線道路の整備 である。

自動車専用道路づくり後発国の日本では、しかし、欧米の先進国を情けないほどに見習 おうとしなかった。大勢の視察団が派遣されたのに、いったい何を勉強してきたのかと、 道路づくりの責任者を糾弾したいところだ。
日本にもバイパス道路がないわけではない。いや主要都市、地方都市のほとんどに迂回 用のバイパス道路がすでに設けられた。都市内渋滞に直面し、たまりかねて逃げ道づくり を急ごしらえした。その便益性は各地で十分に証明済みである。
にもかかわらず、日本の首都で、かつ最大のマンモス都市である東京にだけは、主だっ たバイパス道路が一つもない。馬鹿げた話であり、不思議な話である。

構想としては、当初から東京の一番外周部に太い更け皿の東京外郭環状道路を設ける案 が練られた。日本道路公団が建設を担当と決定された。
横線づくり、環状道路整備は、構想段階でなら、ほかにもいっぱいある。外郭環状の外 側には国道十六号線を主体とした核都市広域幹線道路、さらにその外側に首都圏中央連絡 自動車道と二重、三重の環状道路が網を張る。縦線を横線で幾重にもつなげる構想である。 東京湾沿いには第二東京湾岸道路、湾の真ん中に東京湾横断道路、湾の入り口に東京湾口 道路、そして周辺都市にも横浜環状道路、千葉外郭環状道路、川崎縦貫道路、東埼玉道路、 新大宮上尾道路とプランだけは目白押しにある。

首都圏だけではない。京阪神圏にも名古屋圏にも自動車専用道路網の長期構想には申し 分のない立派さで地図上に縦線、横線、環状線の線引きが描かれる。机上プランとしては 盛り沢山すぎるほどだ。進行状況に従って、整備計画、基本計画、予定路線、さらに長期 構想とここでもまた役人用語が縦横に駆使され、未来がバラ色に包まれる。

さて、しかし道路計画の一番最初に打ちあげられた東京外郭環状道路の建設はどこまで 進んでいるだろうか。当初計画であれば、東名や中央高速、東北自動車道の完成、東京乗 り入れと前後して完成・供用されるはずだった。

読者各位がお手持ちの道路マップを試しにみてほしい。
日本道路公団の管理する縦線主要高速道路の東京側出入口は、いずれも東京都と各隣接 県の境界近辺に設けられている。東京都(二十三区)の最外周部か、さらにその外側に位 置する。
東名高速の料金所は川崎市高津区内、中央高速が三鷹市内、関越道が埼玉県新座市内、 東北自動車通が同川口市内、常磐道が同三郷市内、京葉道路と東関東自動車道が千葉県市 川市内といった具合に、東京都内に乗り入れる直前の場所に料金所が設けられる。

偶然の結果ではない。東京乗り入れを遠慮し、都内の混雑を招かないため、あえて隣接 県に料金所を設置し、殺到する自動車の逃げ道に備えたのである。
そしてこれらの料金所を横にずっとつないで環状にできる道路、それが東京外郭環状道 路といわれるものである。ところが、困ったことに最重要のこの横線道路が全く宙に浮い たままなのだ。

日本道路公団は、縦線の主要高速道路の建設・管理を担当すると共に、縦線をつなぐ横 線、環状線としては日本で一番重要なこの東京外郭環状道路づくりの責任を負った。これ さえ予定どおりに完成していれば、首都高速を含む東京都内の主要道路の渋滞慢性化は大 幅に緩和されたであろう。縦線主要道の料金所渋滞も、今よりはるかに軽症でとどまった に違いない。

日本の道路行政の破綻、怠慢による渋滞慢性化、ドライバー泣かせの最たるものの元凶 は、通称“外環”こと東京外郭環状道路の“幻の道路”化にある。
受け皿として欠かせない最重要路線が、なぜ“幻”と化したか。部分開通、全線開通は いつになるか。実態を知るにつれて絶望の思いが強まる。次にそれを告発しょう。

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