2 – 幻の東京外郭環状線

幻の東京外郭環状線(1)

オリンピック前からある外環構想

「ガイカン」という耳慣れない言葉を私が聞き知ったのは、東京都政担当の記者クラブに 配属されて直後のことである。昭和三十八年。翌年の東京オリンピック開催を間近かに控え、都市改造が急ピッチに進められていた。
なかでも最大の眼目が「ガイカン」であった。ガイカンが外環、東京外郭環状線の略称、 愛称とは、駈け出し記者にもすぐわかった。重要性への理解が深まった。

要するに関西、中部、甲信越、東北、関東近県各地から首都を目指し、あるいは首都を 経由し、殺到する車群を、東京に入る前の境界線でがっちりと受けとめ、交通整理する狙 いで構想されたのが、ガイカンであった。文字どおり、東京の一番外側をぐるっと回る環 状道路である。
南端は東京湾岸の羽田空港近く、多摩川河口に始まって、川沿いに北上し、二子橋あた りから内陸部に入る。あとは東名、中央、関越、東北、常磐の各自動車道の東京側起終点 をつなぎ、その後、江戸川沿いに千葉県内を南下。最後はまた東京湾口に至る。総延長で 八十五㌔に及ぶ日本で最大の環状道路づくり構想であった。

もちろん、東京オリンピック開催に間に合うわけはない。オリンピックが成功裡に終了 したあとの四十一年七月、まず、事業着手の第一段階として都市計画決定が行なわれた。 二十二年前の時点で、ガイカンは道路づくりに必要不可欠な計画決定を経て実質的にス タートしたはずであった。
ところが、その後の用地買収交渉や道路建設の事業は一向に進まず、実質的には凍結、 後退が続いた。今日に至るまでの長年月を全くの無駄に終わらせたのである。
かろうじて今、用地買収と部分的工事が進むのは東京外郭環状道路のなかでも、北側の 埼玉県部分のみ。常磐道と東北自動道、関越道の三本を結ぶ三十㌔ほどが六千億円近くの 事業費を見込んで、五、六年後の開通を目指し、建設事業をやっと推進中にとどまる。

渋滞ワースト地区である関越道の出入口・谷原以南は、それこそ二十四、五年前の青写 真段階にとどまったままだ。関越道と中央自動車道、東名道の三主要道を結ぶ最重要区 間・十七kmについては、せっかく都市計画決定されたのに、全くの手つかず状況が続く。
こういう馬鹿げたことがまかり通るのなら、何のための都市計画決定だったのかとの疑 問が生ずる。タイムカプセルを覗く思いで空白の二十二年間を振り返ってみよう。

責任を押しつけ合う公団、建設省

まず最大の責任者である日本道路公団の説明と弁解、将来見通しを紹介する。

「都市計画決定はされたのに、何故、その後の事業が一歩も進まないか、用地買収交渉に 取り組まないでいるかといえば、建設大臣の施行命令が出ないからです。命令なしに事業 執行者の我々が勝手にやるわけにいきませんからね。建設大臣が施行命令を何故出さない か。実は複雑で難しい経過があるんです。
工事技術の進歩により、道路建設そのものは、 四、五年の年月があれば完成可能です。施行命令が出されたあと、これまでの実績からし ても、用地買収交渉を含め、十二、三年かければ開通、供用する自信があるのですがねえ。 ですから今世紀中に完成させるのは、必ずしも不可能ではないんです」

道路建設事業を人間の身体にたとえれば、事業執行者である道路公団等は手足にすぎな い。手足に動けと命ずる頭の部分は建設省及び、最高責任者の建設大臣である。そして主 要道路の場合、まず頭である建設省が基本構想、責(青?)写真をまとめ、関係自治体や地元住民 に説明、協議する。了解が得られ、事業予算のメドがついたところで、各地方ごとに設け られた都市計画審議会に諮り、計画決定する。

日本道路公団の弁解する「複雑で難しい経過」とは、この計画決定が行なわれたあと、 次のプロセスである「施行命令」が建設大臣から出されなかったことを指す。動けとの指 示を頭が出さなかったので、手足である自分たちは動かなかったというわけだ。それどこ ろか「動くな」との逆命令まで出されていた。そこが「複雑で難しい」と説明される所以。
発端は計画決定四年後の昭和四十五年十月九日、参議院の建設委員会での根本龍太郎建 設大臣答弁。「外環は地元住民の反対が根強い。ルートを再検討すべきだ」との共産党議 員の質問に、根本建設相が答えた。

「地元との話し合いが成立するまで、大臣としての私は施行命令を出さない。私の大臣在 任中にこれ以上進展することはないのではないか」

マスコミは「外郭環状線建設工事計画を凍結」と一斉に報じ立てた。折しも東京都知事 は革新派の美濃部亮吉氏。東京の都市改造には消極的、否定的であった。これ以上、道路 をふやして便利にすれば、人やクルマがさらに東京に集中する。過密化が進み、環境が悪 くなるとの理屈からである。

それ以前の東龍太郎保守都政時代、オリンピック開催に備えての都市改造、道路の緊急 増設が続いた。政府、東京都、住民の三者揃って意見・利害が一致する緊急課題であった。 政府は重点的に予算を都に配分し、住民もまた積極的協力を惜しまなかった。
ところが昭和四十年代になると、その反動でもあるのだろうか。道路整備が住民から必 ずしも歓迎されなくなった。都市公害を悪化させる元凶との批判が高まり、行政側の熱意 は急速に冷えこんだ。

冷淡派の代表が美濃都知事である。

「時の流れとともに、道路に対する住民の考えかたが変わってきている。行政側もその変 化に対応しなくてはならない。住民が建設に反対するなら、道路を無理して作る必要はな い」

美濃部知事は記者会見でこう言いきった。言うだけでなく、国から都に配分される道路 建設事業のための国庫補助金を返上した。反発を強める政府が都への割りあて分を他都市 に回したりもした。道路建設“冬の時代”である。事業量が対前年比で三割もダウンする 始末だった。

美濃部知事は、この時、フランツ・ファノンの「橋の哲学」という考えを掲げて、周辺 住民に反対運動のある道路づくりに否定的姿勢を示した。ファノンは「みんなの幸福にな らないなら、そして一人でも反対があれば、川には橋をつくらないはうがいい。泳いで渡 るか、船で渡ればいい」との哲学を説いた。
美濃部知事は「橋の哲学」を引用し、住民の反対を押しきってまで、高速道路を建設す る必要がないとの態度をとった。泳いで川を渡るように、道路もまた狭い迷路のままに歩 いて通ればいいというわけだ。
自動車公害が非難のターゲットとされた時代背景なしには考えられない“美濃部迷言 集”の一つである。責任を追及しようにも、美濃部氏は知事を三期務めたあと、参議院議 員に転じ、五十九年十二月、現職議員のまま急逝した。

道路建設関係者は、今、“外環幻化”の責任をあげて美濃部前知事一人のせいにする。 美濃部氏の責任は重いに違いない。だが、社会全体が道路整備に対する情熱を失い、政府 もまた大都市道路の整備を冷遇し、地方道整備に建設費を重点配分した当時の後遺症が、 二十年後の現在まで重くのしかかっているのである。
ハードの街づくりより、ソフトの福祉充実が脚光を浴びた。道路づくりはひと休みの状 況がしばらくの間続いた。
そういう冷えきったムードのなかでの根本建設大臣による“凍結”発言である。大臣発 言があったとはいえ、都市計画決定までが白紙に戻されたわけではなかった。にもかかわ らず、東京外郭環状道路建設は事実上、タナ上げにされた。致命傷的つまずきの始まりで ある。

「外環」南西部の建設に四兆円!!

根本龍太郎氏は高齢のため議員を引退したが、八十一歳の今も健在である。
凍結発言の真意がどこにあったか、当方の問い合わせに、

「もう昔のこと。詳しくは覚えていない。僕が凍結発言なんかしたのかなあ。とにかく忘 れてしまった」

と語り、自分の発言が今日に至るまで後遺症を及ぼしているとすれば、心外千万と嘆く のだった。

「だって僕は道路建設推進派ですよ。岸内閣の時に建設大臣を務め、河野一郎経企庁長官 と協力し、一万田尚登大蔵大臣の反対を抑えて道路建設促進のための特別会計を発足させ た。毎年、大蔵省の査定を受けての単年度予算では、どうしても限界があるからね。ガソ リン税収入を財源に特別会計を設けて、道路関係予算をふやした。
そういう僕が道路づく りにマイナスになる発言をするはずはない。言ったとすれば施行命令権者として、地元で ある東京都の意向を尊重するという趣旨ではないかなあ」

根本氏の口をついて出るのがいずれも歴史上の人物であることからもわかるように、一 昔前の出来事である。発言した当事者の意図を離れて、“計画凍結”の言葉だけが独り歩 きした。計画決定は、取り消されていないため、実際には今も生きている。だが、沿線住 民の多くが、とっくの昔に白紙に戻されたと信じこむのである。

地元との折衝、説明役を長年にわたり担当した東京都の幹部が打ち明ける。

「地元住民の人々は反対派ばかりではございません。我々の説明に対し、拍手で歓迎され る場合もあります。高架式高速道路をやめ、半地下方式に改めると方針変更をお伝えした 際には、予想以上に好意的に受けとられた。ほとんどの人々が、凍結されたあとの計画は どうなっているのだろうと心配されています」

東京外郭環状道路のうち北側部分、埼玉県内の三十kmについては、やっと用地買収や建 設工事が始まった。常磐道の三郷インターと関越道の谷原との間を結ぶものだが、谷原か ら和光市に抜ける一・一kmは東京都内を通る。そのため、都も沿線住民の説得に乗り出し た。賛成をとりつける切り札に使われたのが、半地下方式である。場所によってはトンネ ルにし、高速道そのものを完全に地下に埋め込んでしまう。

半地下方式は、外環凍結の苦い体験から、建設省や東京都、日本道路公団が得た一番の 教訓である。
環境破壊について住民から反発された場合、どうしても道路を通すことが必要であるな ら、道路を地下に埋没させる。人の目に触れないようにするしか解決策はないとの結論に 達したわけだ。
日本道路公団は建設大臣からの施行命令が出ないのを絶好の逃げ口上として外環建設を さぼりつづけた。建設省や東京都もまた、何ら拘束力のないはずの根本凍結発言を隠れ蓑 に計画の推進と関係住民の説得を手がけようとしなかった。いたずらに長い年月を空費し、 最近になってようやく半地下方式による外郭環状線建設で住民の再説得をしようと検討し 始めた。

ただし、地元説明会では関越道の谷原交差点以南、中央高速と東名高速をつなぐ外環を どういう道路方式にするつもりかと問い糾されても「ご賢察ください」との曖昧な返事し かしない。高架方式はすでにあきらめ、トンネル併用の半地下方式を採用するしかないと 事務レベルではほとんど結論が出ている。ただ、用地買収費を含め、あまりに膨大にのぼ る事業費をどうやりくりするか、建設推進の自信を持てずにいるからである。
なにしろ外環の南西部分は、東京都でも名だたる高級住宅地。十七kmの区間、道路幅四 十mにわたって買収してかからねばならない。練馬、杉並、世田谷の三区と武蔵野、三鷹、 調布、狛江の四市にまたがる七、八十万平方mの超高額地帯を買収してかかるには、用地 費だけで、三兆円から四兆円を用意しなければならない。


幻の東京外郭環状線(2)

解消されない東名・中央の渋滞マヒ

難しさはさらに重なる。

「この十年間、政府の方針で職員をふやさずにやりくりしてきましたからね。難航が予想 される用地買収交渉の担当要員が、公団にはいません。金額も大変でしょうが、それ以上 に頭が痛いのは代替地をどう手当てするかです。買収に応じ、立ち退きに同意される住民 の皆さんにご満足いただける代替地をきちんと提供できなければ、交渉は最終的にまとま りません。東京都が協力してくれればいいが、人手不足を理由にOKしてくれない。都は 都の仕事で手一杯と言うんですからねえ」

日本道路公団が早くも泣き言を漏らすのに対し、東京都の側も突き放した態度を隠さな い。

「住民の協力が得られるよう、地元自治体として、説明や説得に協力はします。しかし事 業主はあくまでも道路公団。用地買収交渉の難しい仕事だけ、都がやってくれとは身勝手 すぎる。そんな話を持ちこまれても、聞き入れるわけにはいきません」

始まる前から、もう、仕事を押しつけあう“キャッチボール”の投げ合いなのだ。

二十年前、まだ密集地とならず、地価狂乱以前であれば、代替地の手当ても容易であっ た。スムーズにコトが運び得たであろう。これから着手するのに、どれほどの難題が待ち かまえるか。調べれば調べるほど、「ガイカンは、結局、いつまで待っても全線開通する はずがない。幻の道路に終わるのではないか」との疑問を強く持たざるを得ない。

建設省や日本道路公団は、口が裂けても、「完成・供用が絶望的」とか「幻の道路」とは 言わない。反対に「いつまでとは約束できないが、絶対に作ってみせる。これは必要な幹 線バイパス道路ですから」と強弁してみせる。都心から外側に向け合計で四本の循環道路 建設が完成すれば、渋滞慢性化が大幅に解消できる。迂回選択が可能になるため、交互に 補修工事をすることで渋滞を招かずに済む。循環道路の大切さは、理屈ではもうわかり きっているのだ。
にもかかわらず、現に供用されるのは一番内側で、一番距離の短い都心環状線のみ。中 央環状線は東側が開通しただけで、西側までの全線開通には、少なくともあと二、三十年 の年月を必要とするだろう。外郭環状線もメドがついたのは北側部分にとどまる。南西側 はお先まっ暗である。
極論すれば、いまはまだ「二十二年間の空白」で済んでいると言えるのかもしれない。 それだけでも埋めがたいのに、道路問題取材を通じて、この空白期間は序の口とさえ考え るようになった。さしあたっての挽回策が見当たらない。今後、空白がさらに長引くので はと悪い予感がする。

「絶対に作ってみせる」という強弁に接しても、簡単に実現するとは信じられない。
たとえば、やっとメドがついたとされる外環の北側部分。なぜメドがついたかと、内情 を調べてみれば、たまたま埼玉県内の建設予定地の大半を国が先行取得してあったからに すぎないとわかる。要するに用地の手当てがしてあれば、着工にメドがつく。これから用 地買収を進める必要のある地区では、金額的にも、日程的にも大難題が待ちかまえる。

建設省や日本道路公団がこれからどういう手順で外郭環状道路を「絶対に作ってみせ る」とスケジュールを描いているか。
とりあえずの第一目標は常磐道、東北道、関越道の北側主要縦線の三つをつなげること である。距離にして三十km。用地入手済みの埼玉県部分では一部で工事が進められている。 しかし、関越道の出入口、谷原周辺の東京都内部分一・一kmは、用地買収交渉以前の、ま だ住民説得段階だ。
最近の道路づくり手法を点検すれば、懸案を先に延ばし、やりやすいところから手がけ るのが特徴的である。難攻不落は後回し。それはど必要でなくとも、用地買収の進めやす い場所でまず部分開通を目指す。

外環で一番重要なのは東名高速の車群を処理する南西部分である。具体的には東名、中 央、関越の三幹線道を横につなげること。最重要路線とわかっているが、早期着手をすっ かりあきらめた。
外環では重要度の二番目に高い北側部分をまず完成させ、その後はやりやすい順序に 従って、外環の東側部分にとりかかる。東側部分でも一番難しいのは松戸周辺の住宅密集 地。ここを後回しとし、埼玉県内の三郷市周辺や千葉県市川市内のルートを先に手がける。

今から十年後ぐらいの外環の姿を想定すれば、北側の三十余㌔だけが開通し、東側は松 戸近辺を除いて環状線のぶつ切り工事が進められるのではなかろうか。そして最重要部分 の南西側は相変わらずの空白状態が続く。
しかし、これではいくらなんでも、ひどすぎる。東名高速や中央高速は出口渋滞がます ます悪化し、マヒ状態に陥るのが避けられない。そこで、手つかずの外環南西部分を緊急 カバーするために、十年はど前から構想が浮かびあがり、ここ四、五年間で急速に計画準 備を進められるのが、首都圏中央連絡道路である。

代理の「首都圏中央連絡道路」にも難問続出

圏央道と略称される、このピンチヒッター道路は、総延長が二百七十kmもある日本最大 の環状バイパス線。東京都心部から四、五十km圏にある横浜市、厚木、八王子、川越等の 郊外地を遠回りに結び、さらに茨城、千葉両県の中央部を横断し、最後は木更津市に抜け、 東京湾横断道と直結させる。
もし計画どおりのルートが完成すれば、外環よりさらに太い受け皿、バイパス道路とし て大動脈の役割を果たす。日本道路公団に任せてはいられないとばかりに、国の直轄事業 にされる意気込みである。建設省が中心となり、ルート予定地の都県や関係市が応分の負 担と責任を担う。構想倒れの感が強い外環の二の舞いを踏まず、圏央道こそが首都圏全体 の渋滞解消を目指す最重要路線だとして早期着工・完成が呼びかけられた。

外環より十年以上も遅れて構想され、外環より十年以上早い完成を期待されるのが圏央 道である。
総延長が二百七十kmの長い環状線のなかでも、とりわけ着工を急がれるのは、外環空白 地区を代理機能する南西部分。より具体的には関越道の鶴ヶ島近辺と中央高速の八王子界 隈を結び、さらにそれを東名高速の厚木インター周辺にまで延ばそうとするものである。 厚木からは藤沢市を経由して横浜環状道路に乗り入れる。
手がけやすい東側部分よりも、まず難攻不落地帯の南西部の建設をこそ優先させるとい う。建設省や東京都、神奈川県、埼玉県がそれぞれの基本計画、長期計画のなかに圏央道 ルートを広域幹線道路として位置づけた。超過密の商業、住宅地を通り抜ける外環と違っ て、圏央道は都心部から四、五十㌔離れているため、用地買収もそれだけ容易に進められ ると期待された。

さて、しかし、現実にはどういう反応にあったか。
行き詰まつた外環のピンチヒッター役、代理の緊急道路として登場した圏央道までが、 あちこちで難題に直面し、立ち往生する。計画推進のスタートである都市計画決定をする 以前の段階で、早くも周辺住民の激しい反対運動の直撃を受ける。

関越道から中央高速へとつなげる圏央道の東京都内部分では、“高尾山粉争”が持ちあ がった。
「東京周辺で最後に残された自然の宝庫・高尾山の環境破壊を許すな」「高尾山一帯には遺 跡が多い。文化財として保存すべきだ」「高尾山の中腹をトンネルで貫通するなんて、と んでもない暴挙。地下水が分断されたら、どうするか」「山岳地帯のV字形の谷間に排気 ガス道路を通すと、上空より地表付近の温度が低くなる逆転層が生じ、排気ガスが拡散せ ず地上にたまる。動植物への悪影響が避けられない」

八王子周辺の地元住民だけでなく、各種の環境保護団体が「圏央道、断固反対」の声を あげた。まさにクレーム続出。地下のトンネルを掘ってもいかん。地上の谷間を通しても ならん。住宅地は住宅環境を破壊するので好ましくない。
用地買収の難題にとりかかる以前、道路づくりではアセスメント整備(環境影響評価) のハードルをくぐり抜けなければならない。

青梅市から高尾山に至る圏央道二十二kmでは、トンネルが合計八カ所もあり、道路全体 の六割近い十二kmが地下にもぐる。アセス評価でゴーサインを受けるには、地形、地質、 地下水、残土処理に至る厳しい影響予測を立てなければならない。
東京都の環境影響評価審議会は六十三年十一月一日、五十七項目にのぼる改善の注文を つけたうえで、やっとゴーサインを出した。東京都はこれを受けて、十二月中にも都市計 画審議会に諮り、懸案の都市計画決定を取りつけたい意向である。外環の例と比較すれば、 二十二年前の状態にやっとたどりつくかどうかといったところ。

神奈川県部分の横浜環状道路は、アセス評価以前の状態で足踏みを続ける。予定ルート 内にある九十三の自治会が建設促進派と住環境保全派に分かれて対立。双方が「すみやか にルート決定、建設促進を」「断固反対。計画の撤回を」と陳情合戦を展開中である。住 民同士の反目が強まり、自治会役員の解任、不信任騒動にまで発展する。
首都圏での道路づくりが、いかに至難の業であるかを痛感させられる。
“切り札”のはずが、少しも突破口を見出せない。地域住民の反対運動が最大の難関に なっているのだが、道路公団管理の有料道路では、今、新たなもう一つの難問にも直面中 である。
有料道路を作ったのはいいけれど、料金が高すぎて利用者からソッポを向かれるという 思いがけない事態が生じているのだ。

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